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クマグスノユメ 前半生/後半生 Q&A

南方熊楠 萩原博光 郷間秀夫 田村義也 和歌山 / 2 8, 2010 04:00 PM

1/28 「クマグスノユメ ~南方熊楠 世界放浪の夢(前半生) ~」

2/4 「クマグスノユメ ~南方熊楠 熊野の森で見た夢(後半生)~」

と二回にわたってお届けしましたセミナーでは、
ご参加者の多さと皆さんの真剣さによって会場が熱気に満ち溢れました。


アンケートでいただいた質問に対し
早速、講師の方々から回答が届きましたのでご紹介しましょう。


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Q.先生は語学にも精通しているようですが、中国語とアラビア語を勉強したいと思っています。
  良い本やスクールをご存知でしたら、教えていただきたいと思います。


中国語とアラビア語は、当方門外漢ですので、一般論だけ書きますと、外国語学習に王道はありませんので、入門書から始めて、少しずつ上級の教材へと進んで下さい。語学では、結局は、接する量が大事です。ただ、アラビア語については、高いレベルで(古い文献を読むなど、研究的に)学習を続けるには、英語やフランス語の知識が重要になってくるようです(辞書・文法書の関係で)。


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Q.熊楠は100%自分の字が読めたのですか?


自分の字は基本的にかなり読めていたと思います。ただ、日記でも、読みにくくしてしまった箇所は二度書きをしていたり、英文論考で、自分の「ロンドン抜書」からのイタリア語引用を間違えて引き写している箇所があったりします。読めなかったことも、あるのでしょう。


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Q.ロンドン時代、漱石とすれ違っていたのでしょうか?


文部省給費留学生としてロンドンへ向かう漱石の乗った船と、滞在費用が尽き、尾羽打ち枯らして帰国する熊楠の乗った船が、インド洋上で丁度すれ違ったはず、というタイミングのずれがあります(この点は澁澤龍彦が指摘、というか想像を随筆に記しました)。ロンドンでの滞在時期は重なっていません。


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Q.1984年に天皇にご進講していますが、どのようなことを進講したのか、想像でも結構ですので教えて下さい。 


1929(昭和4)年の昭和天皇和歌山行幸の際のことですね。飯倉照平『南方熊楠』(ミネルヴァ書房)などを御覧いただければと思いますが、基本的には、田辺・白浜など紀南の独特な生物と、粘菌について標本を紹介し、ご説明したようです。紀南地域には、沖縄などにはいても本州にはここにしかないという生物がいろいろいます(陸生ヤドカリ、タニワタリ、ワンジュ、マングローブのヒルギなどなど)。


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Q.米国農務省スイングルへの招聘された経緯など、知りたいです。熊楠の仏教者からの評価を知りたいのですが、どのような資料がありますか?


前者は、飯倉照平『南方熊楠』(ミネルヴァ書房)などをご覧下さい。概要は、『ネイチャー』誌上の熊楠の投稿を読んだスウィングルが、農耕作物の起源に関しての研究者として、特に東洋文献の調査が出来る南方を見込んだ、ということのようです。後者は、『南方熊楠・土宜法龍往復書簡』(八坂書房)、近刊の高山寺(京都)所蔵土宜法龍宛て南方熊楠書簡(正式題名を伺っていませんが、藤原書店から5月頃までに刊行されます)、および鶴見和子・頼富本宏『曼荼羅の思想』(藤原書店)などをまずはご覧下さい。


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Q.南方熊楠の生まれた和歌山城下橋とは、今の地名ではどこですか?


当時も今も変わらず和歌山市橋丁(はしちょう)です。南海電鉄和歌山市駅から間近、「世界一統」(旧称南方酒造)もすぐそばにあります。生誕の地には胸像が立っています。


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Q.外国の方に、南方熊楠を「日本画世界に誇る環境の10人の一人」として紹介するとするとどのように説明したらよいでしょうか。当時の世界標準と比べて優れていた点は? 


この問題に関しての熊楠の評価を総合的に判断するための知識が不足していて答えることができません。悪しからず。【萩原先生】


広い意味での日本の環境保護の先駆者は「東の田中正造、西の南方熊楠」と言われることがあります。近代化を進めた当時の日本の流れに異を唱えた先駆的偉業と考えております。熊楠の場合は人間の行為に対する自然保護の先駆者と考えております。当時の世界標準と比べて優れていた点は、人間と自然を対立する関係として捉えず、人間も自然の一部であると考えた、一種の神道的考え方。熊楠の自然保護の考え方は、熱心な真言宗信者であったにも関わらず、自然保護の立場では神道的考え方をしたと思います。でも外国の方々に神道、神社の概念を説明することは難しいかもしれません。【郷間先生】


これは大問題で、ひとことでは説明困難です。生態学的見地と地域社会主義の見地をもち、生物の生態的連鎖と人間社会の伝統の双方を尊重する立場から、無定見な近代化に反対したひと、とはいえると思います。委細については、南方熊楠顕彰館(和歌山県田辺市)経由でご照会下さい。【田村先生】


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Q.何がきっかけとなって、熊楠に興味をお持ちになってのでしょうか?


1984年、熊楠の菌類標本の整理を一任されていた小林義雄先生(元国立科学博物館植物研究部長:私の上司でした)のお手伝いとして、一緒に田辺の旧南方邸を訪問したのがきっかけです。 その時に変形菌(粘菌)の標本が多数残存していたことが分かり、整理を担当することになりました。整理を続けているうち、徐々に熊楠への関心を持った次第です。【萩原先生】


元来子供の頃から読書好きで、小学校の偉人伝コーナーにあった「大学やめてもへっちゃら」という熊楠の児童書を読み、熊楠を知りました。高校時代に「熊楠全集」が出版され、学校へ行かずに全集のある図書館に通っていました。大学で粘菌を研究したかったのですが、当時粘菌研究を行っている大学はお茶の水女子大だけだと知り、これはどんなに勉強しても無理と悟り、農学部を選びました。卒論のテーマは教授に無理を言い、大学院へは進学しない事を条件に粘菌を研究させていただいた。その時知り合ったのが萩原博光先生。粘菌の研究では生活ができないし、顕微鏡と研究環境の自由が欲しくて高校教員に就職。様々な経緯を経て、大学での本業は植物病理学ですが、実は粘菌と熊楠の研究が主。という甚だクマグスな人生を邁進しております。【郷間先生】


田村個人の私的な経緯としては、前近代日本・中国の豊かな知の体系に深くなじみ、その伝統知を英語で西洋人の前に顕揚してみせ、同時に西洋の知の伝統に深く親しんで、帰国後はそのどちらにもとらわれず自在に語ってみせた…というだけでも、なんとも魅力的な存在です。【田村先生】


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先生方それぞれの視点からお答えをいただきました。


人を惹きつけてやまない熊楠の魅力、
そしてそれを育んだ和歌山という地域の懐の深さ、自由闊達な風土に
そしてこの機会に感じていただければ幸いです。


AH

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